例えば冒険家の話を聞いて私がいちまいの絵を描いたとする。


それがもし私の中で完結しているような絵なら、わかるひとにはそれが、私の中ですでに完結しているのだと分かってしまうだろうと思う。
もし私の中で完結しない絵で、どうやっても他人から見て未完成だということはわかっても、いま見える景色を描いてみること。
それが、人が持つ自信というもののひとつの側面だと思う。


こんな抽象的な話も、必要だったりする。
自分の考えを、日常の引力の根幹に素直に描き出すこと。
一枚の絵には追いつけないけど。



他人が怖くて私は世界を描けない。力だけを描くことは、画材がなにもない中絵を描くことと同じくらいに、生きることと同じくらいに難しいのに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


人との距離を無意識に図りたい。
人との距離を無意識に図るように、絵を描きたい。
画材にも私にもどちらだけの世界でもないところにいつもいたい。