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執念よ、目覚めよ!
ジェッソ下塗り5、磨き、ジェッソ下塗り5、磨き(細)、
鉛筆で薄く下書きほぼトレース、ピグマ0.3で線、点描で陰影


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ペンで完成させるつもりで、色はささっと
背景赤はムラなく

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〈事そのもの〉へ向けたある節目になる、作品を完成させるということには、自らの憎しみではなく対象への愛であることが条件だ。
新日鉄をこの目で見たから続けられているのだろうと感じるし、こまごました機械が好きだということも絶対、まだ投げだしていないということに関係がある。
ところで、私の執念深さがここで思う存分発揮されればいいと思っている。ある長期的な目的があれば、やな性質であれ一時の感情であれ使いようによるのだ。


ところで、ダイナミズムをあらかじめ持つ絵描きは緻密さを含みこんでいくことでレベルアップしていくのだろうし、緻密さをあらかじめ持つ絵描きは全体像への視点を持てるとレベルアップするのだと思った。
真ん中はできてきたけど、少し遠くから見ると端っこをおろそかにしていて、その為に未完成の感じがバリバリするから。
私はその二者に無理やり分けるならば、後者の様な気がするから、広範囲の視点を忘れないようにしたいのだけど、そのことばかりに気を取られて自らの本性と距離を置いたら事だ、その時点から描きたいものも描けなくなるのだろうと思う。


それから、自分がやる気になる場所に、どう自分を置きつづけるかというのも技術の内の一つだ。
暖かくて暖色電灯の家の中、うるさくて人の多い学校の広場、絵画教室の静かな空気の中で描いて思った。
この絵を描くには、明らかに絵画教室での集中力は長く続くし、家では緊張感がなさすぎて続かない。学校はなんだかそこにいること自体が面倒くさくて思わずため息が出る。
本当はどの場所でも同じくらいの集中力と意識でもって描ければいいのかもしれないけど、それは何かをする際に環境に影響されないというある種経験が織りなす神業に見えるので、私はこれからも場所に気をつかってみようかと思う。